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警察と検察による事情聴取(3)

一連の流れで私の実家、連絡先は全て公安に把握されてしまい、更に19日の時点で公安から「また会いたいから希望の連絡先を教えろ」と言われていたので、彼らが再度接近してくる事は予想できました。それ故、大学に行くのが苦痛で仕方ありませんでした。よっぽど家に引き篭もっていたかったのですが、単位を取る為に19日以後も平常通り大学に通い続けていました。

予想は想像をはるかに超えた形で訪れます。5月22日、三限のゼミを終えて教室から出ると、外に黒いジャージを着た職員が立っていました(例のジャージ部隊ではない)。私が歩き出すとその男も歩き出し、私の後をずっと尾行してきます。私が立ち止まると男も止まり、私が無意味に校舎を歩き回っても男は一定距離を保ちながら確実に後をついてくるのです。
怖くなって人通りの多い喫煙所に行くと、今度は他方向からも職員がやって来て私の監視を始めました。後に彼らが法政大学の総務部である事が分かりましたが、当時の私には彼らが学内に入り込んで来た公安警察にしか思えませんでした。
学外に出たら公安警察が待っている・・・。そう確信した私は、先輩に公衆電話から助けを求めます(携帯を押収されていたため)。先輩からは救援連絡センターに連絡しろと言われ、アドバイスとして「信号は絶対守って規則正しく歩け」と教えられました。公安の前で赤信号を渡ると、道路交通法違反で逮捕されるからだそうです。
救援連絡センターに電話し、飯田橋駅で待ち合わせを約束してから、覚悟を決めて学外に出ました。思った通り、逓信病院の前で公安の長谷山某が私の前に現れ、「押収した物を返すから車に乗ってくれ」と言ってきました。が、先日あれだけ酷い目に遭わされておきながら「はいそうですか」と車に乗り込むほど私もバカではなく、「押収品は弁護士を通じて返してもらいます。帰って下さい」と言って無視して駅に向かいました。長谷山はなおもしつこく食い下がり、何か言いながら私の横にピッタリくっついてきます。何か仕掛けてくるのではないかと冷や冷やしながらも無事駅に到着し、救援連絡センターの方に助けて頂きました(彼は中核派系の人らしく、駅で大声を出して警察を弾劾し始めたので恥ずかしくなりましたが、公安の増援も駆けつけてきて悠長な事を言っていられる場面ではありませんでした)。

翌23日の午前10時頃に、公安警察の富樫と長谷山が私の自宅を訪れ、検事に会って協力する約束を取り付けてきました。門前で追い払おうとしたのですが、母が「暑い中ご苦労様です。お茶でもどうぞ」と中に入れてしまい、結果両親も警察の言うがままに検事に協力するよう私に説得を始めました。親心である事は間違いないのですが、逃げ場を失った私は一週間近く家出を余儀なくされました(6月5日に捜査が終了すると弁護士から聞いていたため)。なお、家出中に母が二度も検察庁で検事に事情聴取を受けさせられています。いずれも長時間に渡るもので、母は疲労と心労が重なり、十二指腸に潰瘍を生じてしまいました。

その後検事から裁判所を通じて召喚状が届き、私は裁判官面前で宣誓を拒否するに至るのですが、長くなるので省略します。
7月14日にも地元駅前で身体捜索令状により指紋を取られており、私の受けた警察被害は客観的に見ても尋常とは到底思えません。また、私の他にも事情聴取を受けさせられ、日常品を押収され、裁判での証人を強要されるなどの被害に遭っている友人、後輩が数人います。
公安警察はとても恐ろしい組織です。これまで沈黙を余儀なくされていましたが、こうした事態を黙ってやり過ごす事は受けた被害を無にする事であり、公安のやり方を黙認する事にも繋がると考え、ここに全容のあらましを記します。
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警察と検察による事情聴取(2)

以下、私が公安警察と検事から受けた被害の記録です。

5月18日午後1時半、コンビニに行こうと大学正門を出た私に背後から公安警察三名が走り寄って来て前後を取り囲まれました。「ちょっと話が聞きたいから、車に乗って」という公安に対し、私は「弁護士同伴でないと嫌です」という趣旨の回答をしたのですが、「それはいいから、早く乗って」と公安に急かされ、逃げられそうにないと判断し車に乗ってしまいました。今から思えばこれは任意であったのだから拒否する事は可能だったわけですが、突然逮捕権を持つ公安に取り囲まれた中での理性的な判断はほぼ不可能でした。

車で霞ヶ関の検察庁に運ばれ、そこで検察に引き渡されます。担当の石島検事は初めから高圧的な態度で質問をしてきましたが、答えれば留置所内(当時)の三役と二名の友人が苦しむ上、自身の人間関係が崩壊するのは火を見るより明らかであるので、私は何とか質問をやり過ごし、解放されるのを待ち続けるより他ありませんでした。
14時から始まった取調べが17時に差し掛かり、「講義に出たいので終わりにしてくれ」と私が言った直後、検事は公安を二名連れてきて「君が非協力的だから警察に引き渡す事にした。後は知らん」というような趣旨の事を述べ、私は再び公安によって車に乗せられます。車は行き先も告げずに発車し、車中で公安の久田警部補が驚くべき事に「君が検事に協力しないもんだから検事は怒って逮捕状を書いているぞ。今からお前の家に行って家宅捜索を行なうんだ。どうする、検事に協力するか、しないか?」といった趣旨の脅迫めいた二択を迫ってきました。そんな筈あるものか、事情聴取を拒絶しただけで逮捕されるわけがないと思いましたが、車は既に高速道路に入り、私の家に向かっているのは間違い無いようでした。動転した私は思わず「協力する!」と叫んでしまい、車は再び検察庁に戻る事に(後述しますが、この時既に私の家は家宅捜索の対象に挙げられており、事情聴取の拒絶は無関係)。

その後は逮捕を恐れる余り拒絶する気力を失った私が検事の質問に答え続け、事件現場の写真を見せられながら人物特定を行なわれ、気がつけば調書に捺印していました。時計を見ると既に午前0時。この時点で10時間近く軟禁されている計算になります。
しかし、これだけに留まりません。調書を取り終えた検事は再度警察に私を引き渡し、「警察の言う通りに物を渡せ」と言いました。警察は私の家まで私を送り、任意とは一切告げずに私に部屋の書類、パソコン、携帯電話、記録媒体の類を家から持ってこさせ、地元の交番で押収目録を作成。ようやく解放されたのは午前5時半、正門前で車に乗せられてから実に16時間が経過していました。もはや私には何かを考える余力すら残されていません。

同日の午後3時(つまり5月19日)に、今度は令状付きで家宅捜索を行なわれます。一度目の任意押収で殆どのものを取られたため、二度目は少数の書類に留まりましたが、二度の家宅捜索を合わせると押収物は膨大になり、三ヶ月たった今でもそれらは戻って来ていません。こちらが何度も準抗告、還付請求を行なわない限り、二度と戻って来る事はないでしょう。

ようやく終わった・・・と息をつく間もなく、数日後にまたも公安は接触を図って来ました。
(3)に続きます。

警察と検察による事情聴取(1)

以前文化連盟三役と親しく交流していた現役の学生です。5月15日以降の経緯について書き記す時期が来たと判断したので、記事にさせて頂きます。

初めに自己紹介しておくと、私はいわゆる左翼ではなく、一昔前の言葉で表すなら「ノンポリ学生」といった感じの人間です。マルクスには大して興味を覚えないし、中核派の言うような革命にも可能性を全く感じません。大卒が欲しくて、ただ何となく大学に通っているうちに面白い人達と出会い、サークルに入り、かつては公認サークル連合組織であった文化連盟(現在の文化連盟とは異なる)に所属し、今日までに多くの愉快な人々と親交を深めてきました。その中には後の文連三役もいたし、法政専属の職業活動家である中核派もいました。

忘れもしない、2006年3月14日の衝撃的な事件を境に、私の周囲で法政大学の在り方を疑問視する見方が強まり始めたのですが(当日は中核派だけでなく私の先輩も逮捕されている)、当時中核派でない学生はデモや演説といった直接行動ではなく、文章によって問題意識を広めるという方法を取っていました(2007年に世論研究会が機関紙の没収、学則処分を受けて以降、恩田などは直接行動へと方向転換を計っていったわけですが、こうした弱火に油を注いで事を大きくするような大学のやり方は、私から見ると無用な焚き付けに映ります)。

自己紹介から少し外れましたが、こうした状況下において私はどこに所属するでもなく、あっちへフラフラこっちへフラフラといった大学生活を過ごしてきました。
2009年5月18日午後1時半、公安警察三名に法政大学前で取り囲まれるまでは。

ここまで長々と自己紹介やら大学生活やらを書き綴ってきたのは、活動家と親しくしていただけの学生に公安警察一課及び検察公安部の事情聴取が行なわれる事の特異性を強調しておきたかったがため。つまり前置きです。
私が受けた事情聴取は(2)以降で詳細に扱います。

TV番組にて

1/5


2/5


3/5



半ば中核派のドキュメンタリーにはなっているが、まぎれもなく法政大学の問題を扱っていることには間違いない。
斉藤さんがかっこいい。

サヨークとは呼ばないで☆

はじめに断っておくが、このブログの管理者は中核派ではない。そして中核派をシンパサイズしているわけでもない。振り込め詐欺団体でもない。法政大学に籍を置く、純然たる法大生である。

現在の「法大闘争」と呼ばれる法大問題に関連する一連の闘争は、中核派によってなされているというのが、大きくは一般的な認識であるだろう。もちろん、そういうことはないのだが、そういった誤った認識がある場合、それをただす意味合いでも、これから話すことに留意して欲しい。

中核派とは革命的共産主義者同盟全国委員会の通称であり、過去、内ゲバ殺人や爆弾を爆発させたりしている団体である。法政大学は、その拠点校であり、退学になったり、無期停学になったりしているが、一応、現役の中核派学生は存在する。
06年辺りから、大学は「中核派との戦争(※学生部職員某が言ったとされる)」を掲げ、実際に戦争をし始めるのだが、その際に、無関係なところにも、とばっちりを食らわせてきたのである。予算規模数億と言われる学友会を解体・再編し、学生の自治組織をまるごと大学管理にしてしまったのもその一つである。
私は「とばっちり」と書いたが、これは法大生にとって、中核派憎しで終わる話ではない。「対テロ戦争」である「中核派との戦争」において、大学が勝手にアフガニスタンまで空爆し始めたのだ、という比喩が近い。そして、アフガン空爆に反対すれば、テロリスト扱いである。

法政大学では、逮捕者が延べ100人を超えている。その多くが中核派であることを取って、社会的に有害とされる「過激派」を取り締まることには正義があるかもしれない。また、旧来の過激派と、過激派を取り締まることで予算が増える公安警察との閉じた関係において生じている問題ではないかと思われるかもしれない。
しかし、これは、中核派と公安警察との「壮大な祭り」ではない。ネグリ=ハートの〈帝国〉に描かれるようなグローバルな権力として警察を見渡すならば、反抗・抵抗する人間こそが取り締まりの対象となるし、なり得るのだ。
世間的に見た中核派のイメージは決していいとは言えない。だが、だからといって、中核派に属する学生が大学や警察にいじめられるのを黙ってみているほど、私は世間的に聞き分けがいいわけではない。重大な人権侵害が法政大学で生じているのは事実である。
また、現在「中核派との戦争」と同時に生じているのは、無党派系の学生が「中核派のシンパ」とされ、「中核派の思想的同調者」とされ、弾圧にさらされていることだ。
これについては後述するが、今年の5月に生じた事件に関連して、多くの人間が警察被害にあっている。

2006年の3月の29人逮捕事件から始まる、一連の弾圧。すなわち、立て看板・ビラまき規制、自主法政祭の規模縮小、学生ホール解体、学友会解体・再編、特定サークルへの嫌がらせ、そして特定の学生への暴行・恫喝が日常的に続く。
この状況を過激派対大学当局といった風に矮小化して捉えることは許されないし、日が当たらずだが、実際は本当に被害を受けている法政大学の学生の声もあるのだ、ということを知ってもらいたい。
プロフィール

minnadaikirai!

Author:minnadaikirai!
法政大学の学生です。党派ではありません。斉藤さんはりりしいと思います。
よろしくお願いします。

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